FM三重『ウィークエンドカフェ』2013年8月31日放送

今回のお客様は、尾鷲市三木浦にある『長久丸冷蔵』の社長、大門長正さん。
今年の4月の終わり、マグロ延縄漁船の『第一長久丸』は、南米ペルー沖で10ヶ月の操業を終え、尾鷲港に水揚げのため入港しました。
尾鷲の船が尾鷲でマグロを水揚げする。多くの人で港はにぎわい、たくさんの笑顔が溢れます。
その光景を嬉しそうに見ていたのが、大門長正さん。
遠洋漁業を取り巻く環境は、大変なことばかりだけど、このみんなの顔が見たかったんです。
長久丸の保有する船は、只今、大海原を航海中。
遠洋漁業とマグロ、そして大門さんの大きな夢をお話していただきます。

image

■かつて『漁師』は憧れの職業だった

今はカツオ船が一隻、仙台に。
遠洋漁業のマグロ船は、太平洋から大西洋へ向かっていて、今は、南アフリカのケープタウンの辺りにいるんじゃないかな。
アフリカ沖やらソロモン諸島やら、船頭の考えであちこち行っています。

昔に比べると、漁獲高がだんだん少なくなって来ていますね。
資源保護が深刻になり、漁獲制限も出てきました。

今までは1回の航海で1年以内で帰って来られたのが、2年とか長くなっています。
しかし帰ってきても、魚が安いし期間もかかっているから赤字になってしまうんです。

昔の遠洋漁業でマグロ船に乗ると、一航海1000万円で、それを2~3回繰り返すと家が建っちゃう・・・そんな、神話のような話聴いたことあるでしょ?
半世紀前くらいまでは、実際にあったんですよ。

僕が住んでいる三木浦は近海漁業から始まって遠洋漁業になって。
やはり遠洋船は儲かるということで、みんなそっちに乗りたがりました。
最盛期は年間3航海で、300tクラスの船が満船になって帰ってくるので、効率も良い。
来たら会社もお金になるから、どんどん現金をあげるでしょ。
でもこれは昭和30~40年代までの話。
50年代に入ると200海里問題とかも出てきて、廃れてきてしまいました。

尾鷲は林業も盛んですが、林業は50年~100年のスパンでものを見るから、お金を貯めるんですよ。
もしお金があっても、次のために蓄えをする。
対する漁業は、種をまくわけでも植林するわけでもなく・・・養殖を除くと「見えない状態」でやっているわけです。
だから、漁に行って魚が穫れたら、「こんなに魚が穫れた」「こんなにお金もらっちゃった」という状態。
漁業の最盛期は高度経済成長期とはいえ、そんなに急上昇していたわけでなかったので、給料の格差がすごくあったんです。
大卒で月に5000円とか、10000円とかの時代に、漁師は10万とか15万!
全然世界が違いますよね。
誰も彼も漁師になりたい。
当時の職業ベスト10には、必ず漁師が入っていたんですよ。
それだけ魅力的だったんです。


8-31-3

■信頼できる船頭さんが必要!

僕は今年で46歳になりますが、年下の乗組員はいません。
来ても、すぐにやめて行ってしまうし。
カツオ船やマグロ船に乗って行っても、だいたい2~3年で根を上げてしまうんです。
特に遠洋だと、通信手段もなくなってしまうので、パソコン、携帯電話、友だち・・・たとえお給料が良くとも、繋がりが絶たれると、やっぱり不安になるんでしょうね。
1年間も海外で、しかも同世代の人もほとんどいないですし。

そんな理由から、今、一番頼りにし、戦力となっているのは、外国人船員の人たちです。
インドネシアからなどが多いですね。

しかし彼らを頼って航海していても、やっぱり中枢というか、彼らを指導する立場となるのは、船頭さん。
船頭さんの立場と仕事が一番重要で、経験とスキルと人間性を持っている人にしか任せられません。
船は何億もする高価なものだし、事故など起きたりする可能性もありますし。
延縄漁などで、「縄だけ入れてりゃいいじゃん」的な感覚で漁に出ている人では困りますね。
船を任せるということは乗っている人の生活を守り、さらに彼らの家族まで養うということなので、それだけ責任感のある人を見つけないといけないんです。
だが、現在は中枢に来る人が絶対的に足りなません。
今からでもそういう人材を育てていかないと、数年先はもう、いなくなっています。
育成するためにどうすれば良いのか・・・また、乗組員を雇用する体制や待遇なども考えていかないといけない。

僕らの契約方式は、航海計画を立てて漁師さんと契約するのだけど、1航海ごとなんです。
なので、その人があまり態度がよくなかったり仕事ができなかったりしたら、次回は契約しなければ良い・・・つまり契約社員なんですね。

ただ、そうなると彼らも不安だし、船も探さないとならない。
となると安定した商売を見つけよう、となってしまう・・・悪循環ですね。
そうならないように、福利厚生も含め、会社で彼らの生活・家族を養っていける体制にしなければならないと思います。


8-31-4
■『尾鷲産もちもちマグロ』を食べてほしい!

僕は大学を卒業後、柔道の指導者としてオーストラリアに行っていた時期があります。
そこでの様々な出来事はいい経験になりました。
その経験を生かし、遠洋漁業の魅力を多くの人に伝えていきたいと思っています。

そこで今、商工会議所さんや県、尾鷲漁協に協力してもらいながら、『尾鷲産もちもちマグロ』のプロジェクトをはじめています。
『尾鷲産もちもちマグロ』は、釣り上げられてすぐに氷点下30度以下の『アルコールスラリーアイス冷凍装置』による急速冷凍で鮮度を保っているのが特徴。
急速冷蔵されたマグロは、解凍しても生に近い食感を保っているんです。
『第一長久丸』の『尾鷲もちもちマグロ』は一年間航海して、今年4月に水揚げされたんですが、尾鷲の盛況ぶりは久しぶりでした。
嬉しかったですね。

かつてはカツオ船とかマグロの19トンとか、生の魚を卸していた時代があって、『漁業と林業のまち 尾鷲』と言われるほど、栄えていたんです。
都会から興行師が来てプロレスを開催したり・・・この街にもすごく良かった時代があったわけです。
しかし、だんだん都会の方が交通の便が良くなってくると、尾鷲の地域的ハンディができてきてしまい。
魚も関東などの中心地域に揚がって、そこから全国に発送するようになってしまいました。
確かに施設も多いし人口も多いし、冷凍法もしっかりしているからそうなってしまったんだろうけど、それだけじゃいけません。

尾鷲からこんなに美味しいマグロが揚がり、食べられるということを、もっと知ってほしいですね。


8-31-5
■伝統漁法を後世に残していく使命感

『長久丸』の創業は大正13年、僕の祖父が立ち上げました。
僕が三代目となります。

代々、祖父がやってきて、育ててきた人が、今は僕らを守ってくれている。
彼らが僕らの生活を守ってきてくれたんだから、今度は僕の子や孫に受け継いでいきたいです。
従業員や家族も、和を以って船を盛り立て、産業を盛り立てできるような環境にしたいですね。
今、僕たちが立ち上がらないと終わっちゃうから。
決して今は良い時代ではないけれど、延縄漁や一本釣りは伝統漁法なので、後世に残していきたいというのが根底にあります。

去年、出前授業で尾鷲小学校に行く機会がありました。
その時子どもたちに親や親戚で漁師関係がいるかと尋ねたところ、ほとんどいない。
尾鷲がカツオやマグロなどの魚で栄えた、ということをもはや知らないんですね。

なので僕はこう言いました。

「今は君たちに漁師になれとは言わない。
これから僕たちが、漁船の乗組員になって一旗揚げられるという環境を作るから、君らが漁師になりたいと思った時は、僕のところに来いよ」と。

尾鷲を活気のある町に・・・というのが、僕の願いです。